「・・自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます」Ⅰヨハネ1:8

私たちは必ず失敗する。失敗しない人はいない。もし私たちが失敗した時には、どうすればよいのか。あなたは失敗した時にどうするだろう。その失敗を見ずに無視してしまい、自分の内で無かった事にする事ができ、隠してしまう事ができる。又、周囲に責任転嫁をする道がある。人のせいにし、人に責任をなすりつける。

 

自分が怒った時に、怒るような事を言った相手が悪い。相手がそんな事を言わなければ、自分は怒らない。だから相手が悪いと、相手のせいにしてしまう。肉は、自分の罪をどこまでも認めたくない。言い訳し、自分を正当化しようとする。アダムがエバに、エバが蛇に責任転嫁をした罪の性質が根深くある。悪いと思っていない。

 

自分が悪いと認める事は、自我にとって痛い事だ。私たちは罪を犯したくないが、弱さのゆえに犯してしまう。その時にどうすべきか聖書は示している。「自分の罪を言い表わすなら・・その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめて下さいます」。罪を告白するなら、罪が赦されて、そしてすべての悪からきよめられると。

 

いっさい言い訳を止めて、悔い改める事が、自分の罪に責任を取ることだ。そしてその時、光の中にいると。「光の中を歩んでいるなら・・御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます」。御霊が導かれる悔い改めにあずかろう。その時、完全な赦しの恵みにあずかれる。そして主の愛を知る。

 

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罪を認めないなら自我は痛まないが御霊の平安はあるだろうか。罪が赦されるということは何と幸いなことだろう。赦されなければならない者だとわきまえていたい。失敗し罪を犯す度まっすぐ主にいける。