「すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます」ヨハネ10:4 

「羊はその声を聞き分けます」とあり、羊は、羊飼いの声を聞き分ける事ができると言っている。羊飼いは愛する自分の羊を、その名で「呼んで」連れ出すからだ。そして羊は良い羊飼いの声を、聞き分けてついて行く。

 

だが、しばしば惑わす別の声も聞こえて来る。羊飼いの声を妨げる様々な声で、盗人、強盗や雇い人だ。それは害を加えるためだ。「ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのため」だと。サタンの声、人の声、自分の肉の欲から湧き上がって来る声がある。それらの声がしばしば混線し、良い羊飼いの声と区別がつかなくなる。

 

肉の欲から湧く声は、自分と一体になっているため、なかなかわかりにくい。自分が思っている事が御心だと勘違いしてしまう。自分の思いは心地良いので平安だと勘違いする。御霊の声と肉の声が、わからない時はまず自分の思い、自分の好みを明け渡す事だ。それは「イエス」でも「ノー」でもOKですという事で、自分の思い通りでなくても受け入れます、との態度だ。

 

そしてよくよく祈るなら、必ず御霊の声、良き羊飼いの声がわかる。悪に誘惑する声ならストレートでわかりやすいが、悪ではなく、罪でもなく、一見合法的で、良い事に見えることに騙されやすい。サタンは光の御使いに変装する。羊飼いに似せたサタンの声がある、良い考えに思えるが、御心をそれさせる人間的な意見がある。最善に見える、実は肉の欲の声がある。まず、白でも黒でも、右でも左でも従います、の態度が大切だ。それさえあれば、必ず良い羊飼いの声がわかるように助けられる。

 

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これこそ羊飼いの声と思ってしまうが、時に自分の思いが混線し間違う事もある。しかし従いたい願いがある時、主は軌道修正しつつ、必ず主のみ思いへと助け導いて下さる。妨害の声もわきまえ、環境を見つつ、祈り進もう。愛して下さっているので、羊飼いは御心へと導いて下さる。