「見よ。わたしはあなたがたのために、パンが天から降るようにする」出エジプト16:4  

 

イスラエルは、目の前で紅海が分かたれるという、偉大な主の奇跡を見て、主エジプトを果たした。後にも先にも無いような、驚異的な輝かしい奇跡だ。民はどんなに大歓声を上げ、喜びの叫びだった事だろう。しかし、それも束の間、荒野に入った途端、水が無い、食べ物が無いと、不満噴出で、モーセに食ってかかる。さっき神の偉大な全能の力を見たばかりで、その神が共におられるのだ。

 

信じておれば良いだろうと思うが、しかし、イスラエルの姿は自分の姿だろうか。自分に都合良く、順調に行っている時だけの感謝で、ちょっと状況が厳しくなると、不平不満、愚痴、恨み事が出て来る。感謝も恵みも吹っ飛んで、更には神を責め始める。その後は、民は「どうして荒野になど連れて来た」「飢え死にさせるためか」「エジプトにいた方が良かった」「エジプトに帰ろう」とまで言い出す始末だ。

 

何が問題なのだろう。常に自分を中心に、物事を見ていて、自分軸で世界が回っているので、「自分の思い」「自分の感情」が第一になっている。そして「自分の損得」で動いてしまう。険しい状況になった時に、「主はどう思われてるのか」「主のお心は」「御言葉は何と言っているのか」。ここが大事だ。

 

「自分は」~でなく、「主は」~に、主語を置き換えて、神視点に立つ時、見方が一変する。心が落ち着いて来て、平安になって来る。主は善い方であり、愛して下さっていて、最善をして下さることに目が向いて行き、信仰を働かせて行ける。主は荒野の間、毎日マナを降らせ、うずらを与えて下さった。自分軸になっていないだろうか。

 

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肉はいつも不平不満を見つけるが、感情にふり回されず信仰による平安と喜びを望みの主に祈ろう。順境にも逆境に主は共におられる主を仰ごう。苦しい今も主のご計画の途上だ。