「わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く」イザヤ48:17

主は、導きの主だ。私たちを歩むべき道に導いて下さる。箴言に、主によって人の歩みは定められるとある。主が私たちの道を決めて下さる。しかしそれは、自分の思い通りではない。自分の思いと主のみ思いは、しばしば異なる。誰しも経験するところだ。

 

全く自分の思いと違う事があり、受け入れ難い時がある。しかしその時も、そのままの気持ちを祈って行く時に、主との交わりの中で、不思議に心が落ち着いて、心が変えられて行く。しばしば経験する。そして、主が決められた道と受け入れる時に、信仰が働いて、どんな道であれ、心が平安にされる。

 

又、箴言に、人はどうして自分の道を理解できようとあるが、時に思いもよらない、想定外の事が起きる。戸惑って、驚き慌て、パニックになってしまうが、しかし「あなたの歩むべき道にあなたを導く」との力強い言葉が与えられている。全く先は見えないが、主を信じ、御言葉を信じて、御言葉頼りに、一歩一歩と歩む時に、心が平安に守られる。

 

信仰人生は自分の思い通りにはならず、又、すべてが願いの通りになるのではないが、主のみ思いの通りに導かれて行く。結果的に、主の御心が最善である事を見せられて行く。そしてどんな時も、ありのままの気持ちを受け止めていただける。悲しみも苦しみも嘆きも戸惑いも、人に言えない事を何もかも、主のもとに持って行ける。

 

聞いていただいて心が落ち着いてくる。主に知っていただいたとの、安堵が来る。そして、御言葉を通して、環境を通して、平安を通して、確かに御心へと導いて下さる。

 

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どこに安心があり何に信頼して歩んでいるだろう。わたしはあなたの神であり教え導くと神ははっきり約束をして下さっている。この方に信頼し明日を信じて今日も歩もう。