「私たちは真実でなくても、彼は常に真実である」Ⅱテモテ2:13

ある人が、学校でいじめに会っていた。しかし、それを絶対に親に言いたくないし、知られたくなかった。それはプライドからだった。いじめられている自分を認めたくない。余りにも惨めで、認められない。それを知られるなど、更に惨めで耐えられなかった。傷ついている事を認める事も、受け入れる事も出来なかった。

 

そのため、傷ついていない振りをした。だが心は苦しくて苦しくてたまらなかった。しかし主の御前では、そうであってはならない。振りをしてはいけない。主はどんな状態であれ、あるがままのあなたを受け止めて下さるからだ。主の前では、繕う事も、隠す事も必要ない。すでに裸のままの、その惨めな私を何もかもご存じの上で、受け止め愛して下さっている。

 

傷ついていない振りをしているだろうか。プライドゆえに認めたくない事、だが深く傷ついている、その事をまず認めよう。それを主にありのまま告げよう。その時、初めてあるがまま受け入れられている事、愛されている事が実感できる。私たちがどうであれ、主は常に真実だ。しかしこちらが正直でなければ、交わりが成り立たない。繕った私は、本当の私で無いからだ。

 

主との交わりが何か実感が無いのは、主の前でも繕っているからだろうか。大丈夫な振りをせず、あるがままの気持ちを告げよう。誰にも決して言えない事を聞いていただこう。主は両手を開いて、待ち構えていて下さる。どんな中でも、平安を与えて下さる。

 

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祈ると心が平安に満たされるのは、主からの最初の祈りの答えではないだろうか。ストレスの一つ一つを、偽らない本音を、真実な主に聞いていただこう。人知を超えた神の平安を受け取る。