「すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した」ヨハネ5:9

主は、38年間、伏せっていた男性を見られた。「イエスは・・見」、主の方から、目を留め、語りかけられた。「よくなりたいか」と。一見不思議な言葉に思える。病人が良くなりたいのは当り前ではないのか。ところが彼は、率直に「よくなりたいです」と答えたのではなく、介助者がいないからだめだと言った。

 

自分には助け手がいないから、ずっとこのままだと。確かに、彼には助けてくれる人がいなかった。孤独な寂しい人生だったろう。彼の過去も、失望も、嘆きも、心の内の何もかもをご存じで、主は御声をかけられた。そして「起きて、床を取り上げて歩きなさい」と命じられた。

 

助けてくれる人がいないせいで、自分はこんな状態だと、38年間、自分はかわいそうと、自己憐憫の中にいると、そこは楽で居心地良くなって来る。そのような床を捨てて、起き上がって歩み出せと言われた。「よくなりたいか」の主の言葉は、彼の現実を見せられた。「よくなりたいか」とは、現在よくないという事だ。「起きて、床を取り上げて歩け」この言葉を信じて、起きようとしない限り、癒やしはない。

 

彼は、主の言葉にすがったからこそ、起き上がろうとした。すると、主から力が臨み、起きて歩いた。はなから信じなければ、起き上がろうとはしない。私たちにも、「イエスは・・見」と、主のまなざしが注がれている。すべてをご存じで、「よくなりたいか」と御声がかけられている。自分が依存している、取り上げるべき「床」は何だろう。

 

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余りにも長年の事で諦めてしまっている「床」が自分にもあるだろうか。何度やってもだめだった。どうせだめだろう。しかし主には癒やす力があり、変える力がある。自分には出来ないが、主には出来る。御声を聞いたなら、床を取り上げ、一歩従おう。