「・・霊の父は、私たちの益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです」ヘブル12:10

ある人が、職場に嫌いな相手がいた。いつもトゲのある物言いをして来て、横柄な態度もあり、その度に嫌な気持ちにさせられる。好きではなく、意志的愛で、愛することも難しい相手で、しかし自分はクリスチャンだからと、一応礼儀正しく対応していたが、苦痛でならなかった。

 

そんな中、年度始めの人事移動があり、部署が変わり、全く顔を合わせる事が無くなった。心の内では喜び、解放感に安堵した。もう会う事も無く、落ち着いて仕事が出来る事が嬉しかった。しかし、しばらくすると、大嫌いな相手から解放されたはずなのに、心にもやもやが残ったままである事に気づいた。

 

問題が無くなり、楽になったはずなのに、すっきりせず、心が重苦しい。目の前にはいないのに、相変わらず、その嫌な相手を思い、心が苦しくなる。主の御前に行き、ハンナのように、心の内の何もかもを吐き出し、ことごとくを告げて祈った。祈っている時に、心が照らされ、自分の内に強い憎しみ、赦せない思いがある事を知らされた。

 

相手が悪く、被害者としか思えないので、自分の内側など全く気づかなかった。平安の無い苦しい思いはそこから来ている事を示され、悔い改めて、相手の祝福を祈った。その時に真に解放され平安にされた。そして人を見るのでなく、主を見上げた時に、これは自分の成長のための訓練であると、受け止める事ができた。心に平安が来た。

 

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つらいことや試練を通してでなければなかなか変われない者だ。御霊に示されたなら素直に感謝し悔い改めよう。背後の御父の愛を信じて、日々成長していきたい。