「女たちは、笑いながら、くり返してこう歌った『サウルは千を打ち、ダビデは万を打った』」Ⅰサムエル18:7

サウル王は、最初は謙虚であった。そのため民にも良く思われていた。ところが王位につき、すべてが自分の思いのままになるや、高ぶって行った。部下ダビデが連戦連勝で戻り、民の賞賛の的となった。女たちの「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」の言葉にサウルのプライドはひどく傷ついた。

 

ダビデへの強い妬みは、憎悪、殺意へと増幅して行く。もしサウルがへりくだって、妬みを認め、主に拠り頼んだなら、誘惑から守られたであろう。自分が王位にいるのは、主による事であり、それは主の恵みであり、賜物のゆえと思えたろう。そしてダビデのような忠実で、素晴らしい部下が与えられている事に感謝しただろう。

 

しかしサウルは、主に従うところから離れた結果、プライド、世間体、人の目、虚栄心のとりことなった。屈折した感情は、妬みの対象であるダビデへと向かった。その嫉妬は殺意となり、現にダビデに槍を投げつけ、刺し殺そうとした。又、ダビデが荒野にいる事を知ると、三千人を引き連れて向かった。それも敵と戦うためではなく、一人の忠実な部下を倒すために。

 

ダビデはサウル王に熱心に誠実に仕え、何一つ悪い事をしていない。神から離れると、肉の欲望に振り回される、悲惨な姿を見せられる。私たちも、感情にかき回される時は、まず主を呼ぼう。主のもとへすぐに駆け込もう。自分でどうこうせず、まずありのままを主に告げよう。「妬んでいます、憎んでいます。どうにもなりません」とありのまま祈ろう。そこに御霊が働き、助けが臨む。

 

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主に頼らずともできるとの高ぶりがくると御言葉より誘惑の言葉が強くなっていく。徐々に崩れる主との関係に気づけることが感謝だ。主に戻ろう。主は見放さず受け止めてくださる。