「もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい」ガラテヤ6:1

もし、誰かが過ちに陥ったなら、そのままにしておかないで、その人を正してあげなさいと、主は言われる。ただ、ここでよく失敗するのが、相手の過ちが見えた時に、祈りなく愛なく、その過ちをズバッとその場で不用意に指摘してしまう事だ。突然で、相手も受け入れられず、拒否反応となる。傷ついて関係が悪化し、そのまま疎遠になったりする。

 

「御霊の人であるあなたがた」とあり、大事な事は、自分自身が御霊に導かれている事だ。指摘を受ける側は、必ず痛くてつらい事なので、まずよくよく祈り、御霊の示し、御霊の導きを受け取ることが大切だ。その時、御霊がこの事を導かれるとの確信が来て、平安が来る。そして自分もよく整えられ、「柔和に」「愛をもって真理を語る」ことが大切だ。

 

ただ真理の剣で刺し貫き、責めるのではなく、自分も弱い者であり、しばしば罪を犯す者であり、もし自分が相手の立場ならとの思いやりを持って語る。その時、御霊が働かれるので、相手の心に届き、響く。罪の指摘は、相手を倒すためでなく、建て上げるためだ。ある人が、御霊にどうしても友人の間違いを正すように示された。相手は、急所であるその指摘に激怒する事が予想され、回避したかった。

 

しかし幾ら祈っても御霊の示しは変わらず、どんどん強くなり、とうとう従った。思った通りに相手は激怒して、喧嘩腰で去った。しかし夜遅くに電話がかかり、感謝された。あれから冷静になりよくよく考えた。言えば嫌われる事がわかっていて、言ってくれた事に愛情を感じ、有難うと。よくわかった、その通りだと受け入れてくれた。

 

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御霊に示されたなら、気持ちをよく御前に聖められて、主の愛をもって語りたい。人の過ちを見つけると裁く思いが先立ってしまうが、感情ではなく御霊に導かれて語ろう。

 

 

  発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係