「それで、彼は行って、主のことばのとおりにした。すなわち、彼はヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに行って住んだ」 Ⅰ列王17:5

 

 エリヤは、主から命じられ、アハブ王のもとへ行き、ここ2,3年雨が降らない事を告げた。その場で殺されても不思議は無い。大変な勇気がいった事だろう。しかし主に従った。その後、主はエリヤにケリテ川のほとりに身を隠すよう告げられた。アハブからかくまうためだった。エリヤは「主のことばの通りにした」。ケリテ川の畔に逃れた。

 

目の前の一歩一歩を主は確実に示された。そしてエリヤは従った。だが、烏に養わせると言われるが、あり得るのだろうか。ゴミに群がる貪欲な烏が、食物など運ぶのか。それは、烏でなく、主がエリヤを養うとの意味だった。日照りで、日増しに枯れて行くケリテ川の畔で、何もどうにも出来ない。エリヤは無力を思い知らされ、主ご自身に拠り頼む信仰の訓練とされた。

 

川の水も段々干上がって来る。どんなに心細い事だろう。「ケリテ川のほとり」と指定されていて、他へ移動する事もできない。日照りで水は涸れて来た。このままここにいて大丈夫なのか。命が危ないではないか。しかしエリヤは自分で動かず、主の次の指示を待った。「すると、彼に次のような主のことばがあった。

 

「シドンのツァレハテに行き・・」必ず、主から次の導きが臨む。主に拠り頼み、従おうとする時、目の前の進むべき一歩が示される。その一歩に従うなら、また次の一歩が示され、次へと展開して行く。主のわざを見せられて行く。今、目の前の一歩を示されているだろうか。それに従おう。従った時に、また次の一歩が示される。

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現実と主の示しには大きなギャップがあり、主はここからどう導かれるのか、先のことはいつも霧の中だ。今日の一歩を主に信頼し委ね、従おう。主が明日へと導き、主が成し遂げてくださる。 

 

  発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係