「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ・・わざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」エレミヤ29:11

ある人が、父親が高齢のため、会社員を辞して、父の店を継いだ。考えての決心であり、店を何とか少しでも発展させたいと、懸命に働いた。勉強もし、様々なプランを練り、努力に努力を重ねた。少しずつ成果が見え始めた頃、近くに大型ディスカウント店が出来た。 サービスも大型店ならではで、客の送迎バスまで出した。もうどうやっても太刀打ちできず、とうとう店を畳む事になった。激しい失望落胆に襲われた。あんなに頑張って、努力して軌道に乗ろうとしていた矢先に、「なぜ?」職場まで辞めて、決意したのに、「どうして、こんな事に?」。徒労感、虚無感にも襲われ、落ち込みの中で、主に向かった。

 

これからどうすれば良いのか。失意、挫折感、何もかもを、ことごとく祈りに持って行った。とにかくしばらく祈ろうと思えた。心の内の思いも感情も主に告げ、又、途方に暮れていることも告げ、祈りの日々だった。主と交わっていると、不思議に状況は最悪だが、心が落ち着いて行った。主の働きを感じた。そんな日々の中で、思っても見ない展開を迎えた。神学校へ行き聖書を学ぶよう導かれたのだ。

 

主にはご計画があった。店を畳んで、フリーの身になったからこそ可能だった。私たちも、一見災いに見えるような状況に陥る。しかし、主は災いではなく、平安と将来と希望のためのものと言われている。計画があると。「どうしてこんな事が」の突如の事態に、思いを超えたご計画が備えられている。信仰に立てるよう祈ろう。

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どんなに先の見えない状態でも、神の御約束があるからこそ踏み出していける。不安や戸惑いも祈ろう。わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こうと、神はその日その日を支えてくださる。

 

  発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係