「口から出るものは、心から出て来ます。それは人を汚します。悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、ののしりは心から出て来るからです」マタイ15:18

世の中は「性善説」であり、人は善いものだが、外側からのものにより、汚されると考えられている。環境、成育歴、親、社会が悪いから犯罪を犯すと。だから環境・社会が良くなれば、人は良くなり、その悪いものを除くのが教育だと。だが聖書は正反対の事を言う。人は生まれつきの罪人であり、罪を犯すから罪人なのではなく、罪人だから罪を犯すのだと。

 

幼児は嘘をつく。親は嘘をつくように一度も教えた事はない。しかし子供は必ず嘘をつく。「義人はいない。ひとりもいない」外側の問題、環境でなく、人の内側からのものが人を汚す。様々な悩み、争い、それらは環境の問題ではない。それに関わる人の心から、内から出て来るものの問題だ。

 

心に原因があり、内から出る「罪」が人を汚す。唯一、主の十字架の血潮だけがその罪を赦し、きよめてくれる。又、外側から私たちに入るもの、それが人の悪意や侮辱であれ、私たちを汚すことはできない。決してできない。自分から出るものだけが、自分を汚す。つまり、人は私たちに何もできない。人の悪意に対して、自分が反応する事から起きている。

 

もし敵対心や憎悪で反応するなら、自分は罪を犯す事になる。しかし主に愛されている事に堅く立ち、その侮辱を憎しみで返さなければ、人は、誰も自分を汚すことはできない。自分で報復せずに、主に委ねるよう言われている。その時、自分から出るもので、自分を汚す事は誰にも出来ない。

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御霊に導かれ歩もう。外がどんな状況であれ、主の十字架によって内側には新しい平和と喜びの御霊をいただいている。この主を仰ぎ主に愛されていることを覚えて歩もう。

 

  発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係