「自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです」ルカ12:21

愚かな金持ちが出て来る。畑が大豊作になった時、大きな倉を建てて、全部しまい込み安心した。「たましいよ、これから先、何年分もいっぱい物がためられた。安心して、食べて、飲んで、楽しめ」。今後、安泰だ、何の心配も無いと思った。金持ちは、自分に素晴らしい才覚があるから、有り余る富を築けたと思っていたろう。自分の力は大したものだと。

 

だが、その夜に金持ちは死ぬ事になる。主は「愚か者」と言われた。どこが愚かだったのか。彼は、自分が得たもの、自分が稼ぎ出したものは、すべて自分のものだと考えた。更に自分の命は、自分の手中にあり、自分の思うように出来ると思っていた。そして財産、富が、命を維持してくれると。彼の間違いは、愚かさは、神が無い事だった。

 

彼の人生は、神無しの人生だった。命を自分が支配できると思っていた。別訳では「私の作物」「私の倉」「自分のたましい」となっていて、「私」「私」だ。彼の生き方には、「私」しかない。しかし、そこには神がおられ、介入された。「おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる」と。命は神の支配の下だった。

 

太陽を与え、雨を降らせ、水や空気を与え、作物を実らせて下さる神への、収穫の感謝も無く、又有り余る中から、そばにいる貧しい人々へ分け与える気持ちも無かった。「自分が」「自分が」と高慢な肉の思いが出て来る時、気づかせられるように。そして「私」ではなく、天に、主に、心を向ける事ができるように、いつも祈っていよう。

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大いなる神の恵みの内に生かされている事をいつも主に感謝していよう。自分が蓄えた自分のものも、全て神からのものだ。貪欲や傲慢から成す事なく、神により保たれている歩みを感謝したい。 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係