「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい」エペソ6:11

ある人が、主の御心を示され、祈りの中で確信も与えられ、従った。すると、それを進めて行くと、なぜか周囲に受け入れられていないように思える。よく思われていないと感じられて仕方が無かった。何だか心が苦しくなって来る。

 

それで祈りつつ、心をしっかり探り、その動機も探って行ったが、自分の思い、自分の栄光、自分の誉れ、自分の欲では無いと思える。むしろ自分の思い、自分の好みとは違っていて、肉の自分なら選択しない事だった。主に示され、自分の好み、自分の思いを捨てて、従った事だった。

 

だが、本当に御心だったのだろうか。御心を誤ったのではないか。迷惑をかけてまで、進んで行って良いのだろうか。悶々状態になり、主のみもとへ行き、今の状況や、心の思いも感情も、何もかもをことごとく主に告げて、祈った。祈っていた時に、「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる」「人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる」との言葉により、不思議に心が平安にされて、再確信が与えられた。

 

そして、周囲によく思われていないように感じるのは、サタンの攻撃だと気づかされた。勝手に自分がそう思っているだけだと。周囲との関係の中で、全くそうでない事を、信頼関係にある事を主は色な場面で見せて下さった。悪魔の妨害だと気づかされた。悪魔が御心を行う上で、必ず妨げて来る事も再確認できた。悪魔の妨げに心していよう。 

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主の御心に歩もうとする時、サタンは必ず妨げて来る。主に従われるのがよほど嫌で、地に御心が成るのが嫌なようだ。したくない思いが来たり、気力が萎えたり、ネガティブな落ち込みが来たりする。まず祈りに持って行く時、サタンだとの気づきを与えて下さる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係