「聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばがそれを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです」ヘブル4:2  

 

モーセを指導者として、民をエジプトから脱出させた主は、乳と蜜の流れる地カナン、豊かな地へ導くと約束された。しかしその素晴らしい約束を何度も聞いても、信仰によって結びつけられなければ、単なるただの言葉になってしまう。民にとっては、「この聞いたみことばも、益になりませんでした」。なんら意味をなさない。主はいのちの言葉を語られる。祝福を約束して下さる。

しかし、信仰によって結びつけられなければ、何の益も無い。せっかく苦難のエジプトを出たのに、カナンの斥候たちが戻った時に、不信仰に陥った。主が与えると約束されたのに、強敵に滅ぼされてしまうから上れない、荒野で死んだ方がましだと泣き明かした。その民は不信仰ゆえ、約束の地に入れなかった。

 

主の素晴らしい約束も、信仰を働かせなければ。意味がない。聞き方に3通りある。1は、ただ物理的に耳で聞くだけだ。情報としてのみ聞く。2は、聞き流しでなく、その聞いた事を心に受け入れ、反すうし、よく思い巡らし考え、悟ることだ。わかったと思えることだ。3は、その聞いた事を、聞くだけでなく、実際に行うことだ。実生活で従うことだ。

 

それが御言葉を聞いた人たちに「信仰によって、結びつけられる」という事になる。その時に、主が働かれ、大きなみわざを見る事になる。御言葉が大切な事はわかっているが、聞いて終わりだろうか。祈りつつよく反すうし、御霊に教えて頂こう。そして示された通りに従おう。その時、必ず大きな益を受ける。 

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御言葉を聞く事で、自己満足してしまい、聞く事がすべてで、聞き流していないだろうか。御言葉をしっかり心にとどめ、その御言葉を行って行く時に、主のみわざを見、新たに主を知る事ができる。そして自分が変えられる。実行する事を祈り、助けて頂こう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係