「彼はタルシシュ行きの船を見つけ・・それに乗り、主の御顔を避けて・・タルシシュへ行こうとした」ヨナ1:3

ヨナは、主からニネベへ行くよう命じられた。だが敵国の異邦人であり残虐なアッシリヤの首都ニネベに行きたくない。するとそこに丁度反対方向のタルシシュ行きの船があった。それこそ渡りに船でそれに乗った。私たちも時々経験する。御心に従いたくなくて、ぐずぐずしている時、そこに都合良く、反対方向の船があるものだ。

 

ヨナは、その反対方向の船に乗った。私たちも信仰人生で経験する。ある人は宣教師になるよう、導かれているとわかった。しかしぐずぐずと決心できず、悶々状態だった。するとその時に別の船が来たのだ。大変な高給と地位を約束された仕事のオファーが来た。又、それが自分の才能を生かせる仕事で魅力的だった。

 

結局、その仕事を受けた。しかし高給なだけあって、仕事は高度でハードで、残業も多く、主のための時間も労力も無く、主から離れてしまった。子供の事故の事で、我に返り、神に立ち返る事が出来た。御心がわかったが、ちゅうちょしている時、丁度そこに「高給と地位」という船があった。それに乗り込んでしまい、御心からそれてしまった。しかしあわれみ豊かな神は、なおも主のもとに導き返して下さった。

 

人生の大きな進路だけでなく、日々の小さな事柄の中に、御心から逃げたいと思う時、丁度そこに反対方向行きの船があるものだ。それに乗りたい誘惑にかられる。まさにサタンが、反対向きの船を用意している事を覚え、御心の方に従おう。測り知れない、大きな祝福が待っている。  

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目の前に来れば反対方向の船でも御心と思えてしまう。いろいろと理由をつけては主の導きを避けてしまう者だが、従えない思い、逃げたい思いをそのまま祈っていこう。

 

  発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係