「・・心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます」 ヤコブ1:21 

 

 ある人が、試練の渦中にいた。次から次へと問題が続いて、目の前の事態に、心は重苦しく沈み込むようだった。主に助けを求めて祈るのだが、余りの状況の厳しさに、不安と思い煩いに飲み込まれそうだった。そんな時に、遠方の主に在る友人から手紙が届いた。友も同じように、続く試練が与えられ、目の前の難しい事態に胸がふさがれるように苦しく、どうして良いかわからない状況だった。

 

もう、うめくように祈っていた時に、「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」の御言葉が臨んだ。「何も思い煩わないで」との言葉が、光のように射し込んで来て、「何も」「いっさい」思い煩わなくてよいのだと、頭でなく心に入って来た。

 

御言葉が全く新しいものに感じられ、祈って行けばよいのだと、あんなに苦しかった心が平安にされたと。そんな証しがつづられていた。その証しを読んだ時に、自分にもその御言葉が臨んで来た。「何も思い煩わないで」、ああ、思い煩わなくてよいのだ、感謝をもって祈ればよい、肩から荷が下りてすうっーと気持ちが楽になった。不思議だった。

 

主が導いて下さると思えた。心が平安にされた。助けを求めた祈りの答えだった。「わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです」御言葉には力がある。窮地に陥るが、その中で、御言葉の力を体験して行く。

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与えられたとしか思えない御言葉に出会う。目の前の状況や、肉の思いで挫折しそうな時も主の吹き込んでくださる御言葉を支えに、また立ち上がれる。御言葉によって心が素直にさせられる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係