「その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちのえじきとなるからだ。彼らの守りは、彼らから取り去られている。しかし、主が私たちとともにおられるのだ」民数記14:9

約束の地を探った12人の斥候が、10人はかの地の人々が巨人に見え、自分たちはいなごに見えた。城壁は高く、彼らは強い民で、自分たちはやられてしまう。攻め上れないと言った。片や2人の斥候ヨシュアとカレブは、乳と蜜の流れる素晴らしい地だった。是非とも上って行って占領しよう、主が共におられるのだから、必ずできると言った。

 

正反対の見解を示した。彼らは別のものを見たのではない。同じ場へ行き、全く同じものを見たのだ。民は皆、モーセとアロンに

つぶやき、エジプトで死んでいたら良かった、荒野で死んだ方がましとまで言った。不信仰でつぶやいた民たちは、約束の地に入れず、荒野で死んでしまった。

 

だがヨシュアとカレブは、主が私たちをかの地に導き入れ、私たちに下さる、彼らは私たちのえじきとなると言った。私たちはどうだろう。信仰生活の中で、問題が来た時に、二つの態度が取れる。一つはつぶやいて、不満タラタラで、不信仰に陥り、思い煩いにのめり込み、周囲に害を流す。もう一つは、主は約束を実現させて下さるとの信仰に立ち、感謝して行く。すると問題が「えじき=仕留められた獲物」となると。

 

そして、約束の地に入って行く。主が飛んで、問題だけを見る時、問題は巨人に見える。そして自分を見、到底だめだと思える。しかし主が共におられるなら、目の前の問題は必ず導かれる。乗り越えて行ける。つぶやきでなく、感謝の方を選択してみよう。主のみわざを見て行く。 

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感謝には不思議な大きな力がある。感謝する時、主に焦点が向いているので、そこから御言葉が思い出され、信仰が湧いて来る。感謝する時、サタンが来れず、サタンの足場を崩してしまう。状況と自分だけを見ているなら、御霊の気づきが与えられるように。

 

  発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係