「まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ」詩篇1:2

詩篇記者は「幸いなことよ」と、本当の幸せ、生きる喜びを語っている。それは御言葉を喜びとし、昼も夜も主の言葉から離れず、御言葉を口ずさんで生きる人だ。御言葉を心に抱き、思い巡らし、反すうする。御言葉には力がある事を経験して行く。御言葉に思いを潜めて行く時に、心が引き上げられ、又、潤いや喜びが温もりが流れ来る。

 

「あなたのみことばは、私の上あごに、なんと甘いことでしょう。蜜よりも私の口に甘いのです」と。この世の喜びでなく、御霊の喜びを味わう。そしてその御言葉に、聞くだけでなく、実際に従って行く時に、豊かな実のなる人生へと祝福される。御言葉を聞き、従う人は水路のそばに植わった木のようで、時が来ると豊かな実がなって、その葉は枯れることがない。

 

水路のそばが鍵だ。どこに植わっているかが大切だ。水路から常に水分が絶えることなく供給されるので、みずみずしいたわわな実が成る。そして水分が常にあるので、決して枯れることがない。又、何をしても栄えると。

 

栄えるとは、単に商売繁盛、五穀豊穣、家内安全という意味でなく、病気もするし、試験不合格もあるし、経済的苦境もあるかも知れない。主は私たちの成長のために様々試練を与えられる。しかしその中で、成長が与えられ、神の栄光を現して行くということだ。何と幸いな人生だろう。

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主の御言葉には魂を救う力がある。自分の頼りない声や価値観より主の御言葉の声を聞き、御言葉を土台に考え、決断できるのは何と幸いな力ある歩みだろう。

 

  発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係