「さて、十二弟子のひとりで、イスカリオテと呼ばれるユダに、サタンがはいった」ルカ22:3

主は、今まで愛し導いて来た弟子たちに、その愛を残るところなく、完全に、最後まで示された。自分のものを「極みまで愛され」「愛し通された」。それで、主は、手ぬぐいを腰にまとわれ、かがんで弟子たちの足を洗われた。そこにユダもいた。今から裏切るであろう事を知った上で、ユダの足を洗われた。

 

ユダをも最後まで愛し通された。主が捕らわれた時に、ペテロも主を裏切った。3度も呪いをかけ誓い「あんな人を知らない」と。そしてペテロだけでなく、弟子たちは皆、イエスを見捨てて、逃げ去った。皆、逃げる事になる。その先の事もわかった上で、主は皆の足を洗われた。これからの事をわかっていて、なおかつ極みまで愛された。

 

しかしながら、ユダとペテロは違っていた。ユダは後悔したが、主のもとへ行かず、どこまでも主に頼らず自分で片をつけた。ペテロも後悔したが、主のもとにとどまり、すぐに悔い改めた。他の弟子たちも復活の主のもとへと戻って来た。

 

「さて・・ユダにサタンが入った」とあるが、悪魔は勝手に入れない。ユダは悪魔の方を選んだ。徐々に悪魔に心を開いて許して行った。主はユダをも極みまで愛されたが、ユダは主を選ばなかった。自分の思い描いていた主と違ったのだろうか。

 

主のそばで3年間、ずっと御言葉を聞いた。主のわざも見た。その上で自分が選んで計画したユダの意志だった。サタンのふるいを通ったペテロは、後に「身を慎み、目をさましていなさい・・敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めて、歩き回っている」と記した。お腹をすかせたライオンが獲物を狙っている。目を覚まし、主に拠り頼み、心して祈っていよう。

 

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天に帰るまでは、この世では、ずっとサタンとの霊的戦いであることをわきまえていよう。主の御声をなおざりにしていると、少しずつ霊的に鈍くなって行き、少しずつサタンに足場を与えてしまう。「従います」の姿勢で、御声に真剣に耳を傾け、心に御言葉を宿していよう。サタンから主により守られる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係