「あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい・・あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい」Ⅰペテロ5:6  

 

主は「何も思い煩うな」と言われている。「何も」いっさいがっい、思い煩わなくてよいと。主に委ねよと。何という事だろう。それは主があなたの事を心配して下さるからと。目の前の心悩ませられている、まさにその問題も心配無用、主に委ねよと。しかしどうだろう。主の言葉にかかわらず、あれもこれも思い煩ってしまうのが現実だろうか。

 

思い煩いはどこから来るのか。それは、目の前の事態は自分で何とかしなくては、又、自分で対処できると、思っているところから来る。そのため、自分の肩に、すべての荷がかかって来るので、重く苦しくてたまらない。思い通りに事態が進まないと、どんより暗く思い煩う事になる。

 

そして思い煩っている時は、主が飛んでいる。主がいない。問題と自分しかない。問題に飲み込まれているので、心は非常に重苦しい。「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい」。一つ一つ神に渡してしまうようにと。その前節に「あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだれ」とある。

 

「神の力強い御手」、思い煩っている時はどうだろう。「力強い神の御手」が全く見えない。神を認めていない。どんな時も、神の力強い御手により守られている。へりくだるとは、目の前の状況に主を認める事だ。そして主に拠り頼む事だ。御手を認めない事は高ぶっていることになる。問題が、どうしても委ねられないところにあるなら、まずそのまま主に告げて祈ろう。人に出来ない事が、神には出来る。平安の道筋へと導いて下さる。

 

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委ねられないのは、自分が握って放さないから。自分が握っていないと、何もかもがだめになると思う。だから放せない。主を信じる事ができない。まず主はそのありのままを愛し、受け止めて下さっている。主にそのままを祈り、助けを求めよう。委ねることができるよう助けて下さる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係