「主は、昼は、途上の彼らを導くため、雲の柱の中に、夜は、彼らを照らすために、火の柱の中にいて、彼らの前を進まれた」出エジプト13:21

イスラエルの民は荒野にある間、雲の柱、火の柱がずっと共にあり、進むにもとどまるにも、はっきりと導かれた。常に、雲と火により明確な指示があった。いつもそれらを通して、主を見、その導きを見ていた。「雲が上らないと、上る日まで、旅立たなかった」とあり、主が止まられる所で、とどまった。私たちはどうだろう。

 

止まる事が苦痛で、どんどん前に進み、旅を続けたいと思ってしまう。前進したいと思う。しかし、主が止めておられる時は、主と共にとどまろう。そんな時こそが実は大切な時で、その所で主は様々な有益な恵みの学びを与えて下さる。ある人は引っ越しのために、自宅を売却する事に。すぐに売れると思っていたが、それがなかなか売れず、忍耐を試された。

 

祈りに祈るが、売れない。半年が経ち、決まりそうになるが、最後で見送りとなる。幾ら焦っても思い煩っても、雲の柱が動かない限り、動かないのだと、じっと待つ事を訓練された。主を待つ事を身をもって学ばされた。大変な忍耐だった。やがて時が満ちて、とうとう雲の柱が動き、買い手が見つかった。

 

とても良い方に買ってもらえ、心に平安が満ちた。私たちも、もし今待つべき時なら、動かない事が大切だ。必ず神の時が来る。神の時には、事がひとりでに動いて行く。門が開かれて行く。神の約束が実現して行く。神の時を待とう。

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前進は良くて、とどまることは後退のように思えるが、主は夜も火の柱となって照らし守ってくださっている。待っている時も主の御手の中。おりにかなった助けと導きを主に求めよう。 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係