「ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神」詩篇68:19  

 

ある50才代の会社員が、小さな会社の業績不振で、リストラが目前に迫っていた。夫婦で不安にさいなまれた。家のローンや種々の支払いは? 今から再就職などあるのか。路頭に迷う大きな不安に眠れない日々が続いた。目の前が真っ暗になり、食事も喉を通らなかった。主は何と言われるか。祈りに持って行った。

 

「日々私たちのために、重荷をになわれる主」「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配して下さる」「重荷を負っている人は、わたしのところに来よ。わたしがあなたがたを休ませる」「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねよ。神があなたがたの事を心配して下さる」。あなたのその心配を担う、神が心配しているから荷を委ねよ、あなたを休ませる、神が心配を引き受けるので、思い煩いを一切委ねよと言われる。

 

不安と恐れはどこから来るのか。湖で嵐でうろたえた弟子たちに「なぜ怖がるのか、信仰の薄い者たち」と言われ「不信仰」が原因だと。委ねられない奥に不信仰がある。主を信じられないので、任せる事が出来ない。自分が手放すと何もかもがだめになると思う。だから固く握って放さない。

 

そして自分が何とか出来ると思っているので、すべてが自分の肩にかかり、思い煩い、不安で身動き取れなくなる。自らの無力を認める事だ。自分を正当化していると、無力が認められない。これらを正直に主に祈って行く時に、主の恵みは十分で、弱さの中に神の力が働く。信仰が与えられて行く。

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不安と恐れは外からではなく内から湧いてくる。心配事がくる度に、その思いを主に差し出そう。御言葉を現実の生活に結び付けていける信仰を祈ろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係