「だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです」創世記45:8

今、対人関係の苦しみがあるだろうか。職場に、この人がいるから、私の毎日は真っ暗だと思うだろうか。あの人さえいなければ、何の問題も無い、平穏な日々なのにと。あの人、この人、胃痛の種のストレスになるような人々がいるものだ。ヨセフは、兄たちの悪巧みによって、エジプトの隊商に奴隷として売られた。それは妬みによる明白な悪意であった。

 

エジプトで良い主人に仕える事ができ、全面的信頼を受ける。しかしその妻により無実の罪で投獄に。波瀾万丈の人生となるが、腐らず、諦めず、投げ出さず、主を仰ぎ信仰に立っていた。後に悪を計った兄たちに再会する事になるが、ヨセフは「私をエジプトに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に神」と信仰に立った。

 

目に見えるところでは「兄たち」が隊商に売ったが、そうでなく「神が」ヨセフをエジプトに遣わしたのだと。ヤコブ一族の命を救うためのご計画だと。つらく当たって来る相手がいるなら、その人を置かれたのは、神だ。この人、あの人さえいなければと思うが、あなたの成長のために、人格を練り整えるために、あえて難しい相手を置かれる。

 

私たちの出た部分を削り、砕き、間に合う器と造り変えられるためだ。主に無駄は一つも無い。嫌な相手を通して、裁き、憎み、嫌悪する自分の本当の姿を見せられる。そして取り扱われ、変えられて行く。すべての事を、あなたの益のために大きく働かせて下さる。そのためどんな状況でも希望がある。

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主の取り扱いによって思いがけない本当の自分を見せられる。取り扱いなど喜べない自分、変わりたくない自分だ。避けられない状況には主のご計画がある。信じていよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係