「私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう」創世記13:9  

 

アブラムは主の御声を聞き、主の示しを受け、それに従い旅立った。しかしロトは御声を聞いたわけでなく、祈ったからでもなく、ただ伯父のアブラムについて行っただけであった。伯父と一緒にいれば、利得があると思ったのかも知れない。そして、ずっとアブラムの後をついて、アブラムの判断に任せたまま歩んで来た。

 

そしてアブラムへの主の豊かな祝福ゆえに、ロトも所有物がどんどん増し、牧者の間にもめ事も起き、双方共に進む事が困難になった。それで、アブラムは別行動を取る事にし、自分の全所有権を手放し、まずロトに好きな地を選ばせた。「もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう」と。

 

ロトはそこで主を見上げる事も、祈る事も無く、又、伯父の恩義に報いる事も、年長の伯父を立て、伯父さんが先にという事もなく、思いは自分の利得のみだった。どこが一番有利で、得かと見渡した。そして最も潤う肥沃な地を選んだ。見た目には素晴らしい地であったが、しかしそこは邪悪なソドムであり、滅ぼされる地であった。

 

一方アブラムは、残った所を主からのものと受け取った。アブラムの信仰だった。アブラムは選ばなかったが、主がアブラムのために選んで下さった地だった。ロトは肉の目でソドムを選んだ。自らの選択であった。

 

肉で選択する事と、主に委ねて歩む事の違いを見せられる。進路が自分の思い通りでなく、自分の選択の結果でなくとも、主が選んで下さった道だ。そしてその道こそベストだ。主に委ねて歩もう。自分の思いとは違っても、主が選んで下さった道には、思いを遙かに越えた祝福が備えられている。御声を聞いて歩む幸いを見せられる。

 

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アブラムは、主に委ねたから全き平安でおれた。どこになろうと、背後の、主の主権を認め、自分にとっての最善が成ると信じていた。だから平安だった。「行く所どこにおいても、主を認めよ」、その信仰に立つ時、人生はどんなに平安に保たれ、守られるだろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係