「ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて」Ⅰペテロ2:1  

 

御言葉は、この後に、生まれたての赤ちゃんのように、御言葉の乳を慕い求めよと続く。赤ん坊は小さいのに、ゴクゴクと音を立てて、ハアハアと息をしながら、大変な勢いでお乳を飲む。そしてお腹がすくと、力一杯大声で泣き叫び、お乳を求める。私たちもそのように、御言葉を慕い求めよと。それによって成長し、救いを得るからと。苦しい時、つらい辛い時、主のひと言葉によって、心が救われる事をよく経験する。心の大嵐がピタリとやみ、なぎになってしまう。見える所は変わらずとも、主の愛や導き、指針に希望が湧いて来る。自分が変えられる。

 

見た目は悲惨であっても、主は約束の言葉を与えて下さる。その言葉を握って苦しい中を乗り越えて行ける。信仰人生、主は御言葉を与え、信仰を培い、成長、成熟へと導かれる。そのためにも、捨てるべきものがある。それが悪意、ごまかし、偽善、妬み、悪口だ。それらが内にあるなら、主の言葉が心に入らない。

 

心の中の苦いものは御言葉を妨げる。又、屈折して御言葉を受け取ってしまう。正しく受け取ることができない。心に歪みが生じているからだ。心の内にある罪を、一つ一つと主のもとに持って行こう。悔い改め、委ねて行こう。ある人は思い煩いで許容量オーーになり、御言葉が全く入らなかった。一つ一つと主の前に、具体的に書き出し、言い表し、委ねて行った時、心がすっきりし、平安になり、御声を聞けるようにされた。

 

苦いものを主の前に、ことごとく差し出そう。主は赦し、そして悪から守って下さる。「罪の増し加わるところには、恵みも満ち溢れ」、主の恵みはどこまでも大きく、悔い改める度に、主の愛の深さをますます知って行ける。何という恵みだろう。 

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苦いものは、自分では捨てようと思うのだが、自我が握りしめ、捨てられない。生まれつきの頑なな性質がある。自分でどうにも出来ないから、祈りに持って行こう。まずありのまま主に打ち明け、祈ろう。主が捨たり、委ねたりさせて下さる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係