「あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。 火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない」イザヤ43:2  

 

私たちは、信仰人生で様々な試練に会う。御言葉が、信仰人生には、試練があると言っている。この世の宗教は、不都合な事の無

いための信心だ。悪い事があると、何のための信心かになる。しかし「試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい」「訓練と思って耐え忍びなさい、子として扱っておられる」「ご 自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめる」「順境の日は喜び、逆境の日には反省せよ。これもあれも神のなさること」と、逆境も主からのものだと。時に、理不尽な、不当な苦しみもある。「善良で優しい主人に対してだけでなく、横暴な主人に対しても従いなさい」と。つらい中も、神の前における良心のゆえに、悲しみをこらえるなら、神に喜ばれることだと。

 

不条理な事があっても、異邦人の中で立派に振る舞うなら、悪人呼ばわりされても、かの日に神をほめたたえるようになると。苦しい水の中や火の中を、通らないようにされるのではない。そうでなく、苦難の水の中、火の中を通るが、水に押し流されることはなく、炎も燃えつかないと。

 

苦しみはあるが、主が共におられて、どんなに厳しい中でも必ず守られると。脱出の道も備えられている。今、理不尽な、不当な苦しみを通っているなら、大きな慰めであり、希望だ。主の支配の中にあり、主の愛に守られている。

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試練に打ち勝ち強くなれと言われれば無理でも、弱いままで主に頼れ、主がその御手によってしっかりと守るとの御約束は、何と心強いことか。主にあってますます弱さを認めよう。それは何よりも強い。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係