「だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します」マタイ6:34

「明日のことについて心配無用」と言っている。心配が無用と言っているのであって、雨の日のための備えや、将来の計画が無用と言っているのではない。能天気が良いとの意味ではない。主の御心求め、主と相談しつつ将来に備え、計画するのは良い事だ。明日は全く見えないので、主が飛んで、亡霊のような不安のみにさいなまれる事は、全く必要無いと。

 

しばしば「もし」で不安の泥沼に入り込む。体調が少し悪いと「もしこのまま大変な事になれば・・」経済的状況が少し悪いと「もし食べて行けなくなったら・・」と最悪のシナリオへと進む。そして今日の一日を思い煩いと不安でつぶしてしまう。明日は、明日の必要の備えがあるから、今日を精一杯、御心を行い主に在って生きるようにと言っている。

 

ある婦人が、兄家族と同居の実母を急な事情で、一ヶ月預かる事を頼まれた。ちょっとした介護も必要で、自身は家庭を持ち、責任ある仕事を持ち、到底無理と思われた。しかし状況的に自分しかおらず、祈りに祈った。すると明日の心配無用と、今日一日の事だけを考えるよう示された。今日一日だけなら何とかなる。

 

不安な重い気持ちが軽くされ、祈りに祈り、一日だけを考えて生活した。すると思い煩いや不安から守られ、平安が与えられた。夫と子供たちがよく助けてくれ、協力してくれた。一ヶ月間、主と共に全うできて、心から感謝した。主に委ねる事、この一日を生きる事を改めて教えられた。

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主を見上げなければ明日はいつも不安と恐れだ。今日の心配が明日も続くように思えてしまう。主に祈り、主から力を得よう。一日、一日、主が支えてくださる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係