「悲しみは笑いにまさる。顔の曇りによって心は良くなる」伝道7:3 

ある人の証しだ。若い頃から教会に行っていたが、神の愛はわかっておらず、自分にとって信仰とは「あれはダメ、これはダメ」の律法ばかりだった。窮屈なだけで、喜びも平安も無かった。そんな折、教会の人とトラブルを起こし、ギクシャクしてしまい、教会へ行かなくなった。堅苦しいだけの戒めから解放され、自由になったと思った。

 

しかし社会の荒波の中で、別のこの世の様々な縛りに直面し苦しんだ。仕事も対人関係も、問題続きでとうとう行き詰まってしまった。つらく苦しく、もう仕事を辞めようかと悩んだ。せっぱ詰まり、何のすべもなく、どうしてよいかわからない状況で、ふと、なぜか聖書を思い出した。昔、読んだ聖書を取り出して読んでみた。放蕩息子の箇所になり、まさに自分の事だと涙が溢れて仕方が無かった。

 

初めて御言葉が単に頭でなく、心に迫り来た。以前はわからなかった神の愛が、初めて心に沁みてわからされた。真実の愛を知った。その時に、主に立ち返ることができた。主が喜んでいて下ることを感じた。人は順境である時、うまく行っている時、神のもとへはなかなか来ない。喜びの絶頂で、神に会う事はまれと言われている。

 

神無しで十分やって行けて、神無しで幸せだと思えるからだ。肉は甘くない。試練は感謝で恵みだ。神の元へと導いてくれる。多くの人があの時のあの苦しみが無ければ、神を求めていないと言う。苦しみや悲しみは、私たちを神に向かわせてくれる。それは祝福へと変えられて行く。

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問題に直面して初めて主の助けを経験する。一つ一つの試練が主は必ず導いてくださるとの確信に変わっていく。それはあの苦悩の日があったからだと必ず言える。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係