「御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです」マタイ13:19

種蒔きのたとえで、道ばたに落ちた種は、御言葉を聞いて悟ろうとしなければ、サタンが来て心に蒔かれた種を奪って行くとある。御言葉の力を知っているのは、私たちよりサタンであり、恐れている。御言葉が心に根づいてしまうと、結実に至ってしまうからだ。そのため御言葉を奪おうとする。このサタンの妨害をわきまえておく事は大切だ。

 

現実問題として、サタンは今も働いている。救いを得させないためであり、又、信仰者たちの成長を妨げ、奪うためだ。種が無ければ、実を結ぶ事は有り得ない。サタンはそれをよく知っている。このサタンの攻撃をしっかり見張っていよう。

 

普段、御言葉をどのように聞いているだろう。他の事を考えながら、ぼんやり聞くと、右から左へとすり抜けて行く。聞かなかった事と同じになる。又、思いに攻撃して来るサタンは、メッセージを聞く最中にも、デボーションの最中にも、あれやこれや「思い」を吹き込んで来る。必ずや妨害する。

 

又、聞きたくない、耳に痛い御言葉には、耳をふさいでいるだろうか。という事はその御言葉こそが聞くべき言葉だと、薄々気づいている。逃げないで向き合う事が、大きな成長への鍵だ。サタンは御言葉を心に入れないよう阻止して来ている。聞く時にまずよく祈ろう。その時、妨害して来るサタンに気づけるようにされる。そして御言葉を心に植え付けて下さる。

 

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サタンは信仰生活の生命線である、祈りと御言葉を何としても奪い取りたい。御言葉が心に根ざして、結実する事を恐れている。様々な誘惑や攻撃の中で、御言葉が心に臨んで来て守られる経験をよくする。御言葉は力でありいのちだ。祈って御声に耳を澄まそう。 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係