「からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、もし目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう」マタイ6:22  

 

目は澄んで、健全でなければならない。悪い目なら、物事をまっすぐ見る事ができない。それなら正しい判断ができず、目が悪いと道に迷ってしまう。健全な目とは、霊の目のことであり、純真で二心がなく、単一で、シンプル、シングルアイ、一つの事に集中している目だ。主に心が開かれた目だ。そして一心に主を見つめている目だ。

 

「だれも、二人の主人に仕えることはできません」とあり、しもべが仕える主人は一人で、二人の主人はいない。「神と富に仕えることはできない」。神と富のどちらもでなく、二者択一だ。神に集中している目だ。目が悪いとは、視力が弱いという意味でなく、濁っている、よこしまな目であり、地上のものに執着する貪欲な目だ。

 

自分のために、自己中心でいる状態であり、その目は妬みや劣等感で歪み、又、見栄や体裁に捕らわれ、自分の欲に振り回されてしまう。そして主に対して心が閉じられた目だ。又、富は、宝の意味であり、金銭だけでなく、名誉、地位、人からの賞賛、有形、無形の自分にとって大事なものだ。色々な事に執着したり、あれもこれもと振り回されている時、神が見えていない。

 

その結果、様々な思い煩い、不安、恐れにさいなまれてしまう。どうすればよいのか。まずシングルアイでなく、二心である事を認めて、主に助けを求めよう。主は助けて下さる。心にある様々な歪みを指し示し、捨てたり正したりし、矯正しつつ、必ず御心へと導いて下さる。

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肉の目に映る現実だけが現実のように思え、本当に助けとはならない物を求めてしまう。主を頼るといいながら自分で何とかしようと右往左往していることを主に認めたい。主だけを見つめることができる霊の目を祈ろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係