「神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません」詩篇51:17

ある父親が仕事人間で、家庭を全く顧みる事が無かった。すべて妻任せで、早朝出勤に深夜帰宅、子供と接する時間など全く無かった。自分は外で仕事をし家族を養っているのだから、家庭の事はすべて妻の仕事と、当然のように思っていた。又、仕事上の野心も事実で、とにかく業績を上げたい一心で、昇進も目指していた。

 

そんな時、子供が警察沙汰を起こした。衝撃だった。子供は妻任せで、実際子供の心の事など考えた事も無かった。荒んでいた事など全く気づく事もなかった。妻も一人で苦しみを何もかもを背負い、一番いて欲しい時に、夫はおらず、孤独で、寂しさとつらさの中にいた。家族がバラバラで方向性も見失っていた。

 

父親は厳しい現実を前に、初めて心打ち砕かれ、くずおれた。家長として、全く子供に関わって来なかった自らの罪を、心から主の前に悔い改めた。罪は決して甘くはなく、苦しくつらい刈り取りをして行った。妻にも詫び、子供が迷惑をかけた各方面への謝罪に回り、償いをした。数年間の苦しみは並大抵のものでなく、何より子供の回復をひたすら祈りに祈り続けた。

 

しかしそれが出来たのは、心の底に響いて来た「子よ。あなたの罪は赦されました」との何にも代えられない深い安堵感、平安のゆえであった。罪赦されるという、大きな恵みを味わい知らされた。そして主のあわれみは尽きず、涙ながらの切なる祈りは聞かれ、子供は立ち直る事ができた。

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行き詰まり無力を知るときは感謝だ。自分で頑張れている時には見えなかったことが見えて来る。本当に自分には何も無い。主のあわれみと尽きない恵みに生かされている。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係