「・・神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい」エペソ4:32

人を赦すことは難しい。ある人が、自分なりに犠牲を払ってした事を、別の人から批判され悪く言われた。それも仕事上よく話す相手であり、面と向かって直接でなく、陰で悪く言われた事に、ひどく傷ついて腹が立った。もう激しい怒りが沸いた。その怒りがおさまらない。正直、ぼこぼこにしたいほどだった。

 

だがその相手は、折りからの人事異動で部署替えになり、会う事は無くなった。しかしそれから、祈りの時に、祈れなくなってしまっのだ。「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちの負いのある人たちを赦しました」との御言葉を前に、先に進めない。相手への憎しみ、赦せない思いを示され、苦しくなった。

 

しかしどうやっても赦せない。無理だ。だが、それなら、自分の負いめも赦されないことになってしまう。悶々状態となり、しかしどうにもならない。胸が苦しく、つらくてたまらない中、とうとう主に、あるがままの気持ちを包み隠さず、さらけ出した。怒り、憎しみ、赦せない思い、敵対心、何もかもを吐き出した。

 

「赦したくないです。でも助けて下さい」、御前に祈り続けていた。そんな時、目の前に主の十字架が迫り来た。じっと長い時間、十字架を見つめ続けた。すると不思議だったのだが「赦してもいいかも・・」との思いが来た。そして意志を向けて、決心し、「赦します」と祈った。

 

その時に、心のつかえが取れた。楽になり、平安にされた。自分の力では、人を赦すことは到底できない。不可能だ。しかし主に助けを求めるなら、自分ではなく、御霊の力によって、赦すことができるように導いて下さる。

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肉は憎んでいれば心地よく相手のした悪をいつまでも心の中で攻撃する。それは大きな罪だ。主に祈っていこう。主の愛によって十字架で罪赦された。赦された者として歩もう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係