「あなたは、ご自分の民を救うために出て来られ、あなたに油そそがれた者を救うために出て来られます」ハバクク3:13

ハバククはヨシヤ王の死後の預言者で、当時、国内は、罪が満ち、裁きが行われず、悪がはびこり混乱していた。主はカルデヤ人を襲撃させ、悪を罰すると言われたが、現状は悲惨だった。「いちじくは花を咲かせず、ぶどうの木は実を実らせず、オリーブの木も実りがなく、畑は食物を出さない。羊は囲いから絶え、牛は牛舎にいなくなる・・」

 

こんな不毛、失望落胆、嘆き、なすすべの無い状況、お手上げで絶望状態だ。作物も家畜も壊滅状態だ。これを見るなら、望みも何もかも打ち砕かれ、暗澹たる気持ちになって当然だ。先の事を考える絶望しかなくなって不思議はない。しかしハバククは違った。この酷い状況のまっただ中で主を賛美し感謝したのだ。

 

「しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう。私の主、神は、私の力。私の足を雌鹿のようにし、私に高い所を歩ませる」と。主の裁きの先にある、赦しと回復を見ていたからだ。主は、罪を徹底的に裁かれるお方であると同時に「あなたは、ご自分の民を救うために出て来られ、あなたに油そそがれた者を救うために出て来られます」の通り、救いの約束を成就される主である事を信じていた。

 

私たちも厳しい試練の中で、目の前の状況を見るのでなく、主の約束を、御言葉を見続けることだ。それは選択だ。状況を見て、落ち込み絶望するか、主の約束を信じ、主を賛美し感謝するかで、これは選択だ。主を選べるよう、助けを求めて祈ろう。

 

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主も、サタンも、私たちの意志に触れる事は出来ない。意志は自分のものだ。であれば、ロボットではないので、自分が意志した結果に責任が伴う。ネガティブ状況で落ち込みを選ぶのは自分で、主を見て、御言葉の約束を選ぶのも自分だ。主を選べるよう助けを求めて祈ろう。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係