「人の高ぶりはその人を低くし、心の低い人は誉れをつかむ」箴言29:23

モーセは謙遜の代表と言われていて、「地上のだれにもまさって、謙遜であった」と記されている。だが最初からそうなのではなかった。王家の王子として過ごした40年は、人々からちやほやされ、あらゆる学問を身につけ、言葉にもわざにも力があり文武両道、地位も能力もある人物であった。自信に満ちていて、自分こそが同胞を救える者だと思った。

 

しかし皆の理解は得られず、結局失敗してミデアンの地に逃亡する事となった。見渡す限りの荒野で、何も無い場所で、モーセは羊飼いとして暮らした。王家の華やかな王子が、一転、荒野で一介の羊飼いとなった。打ちのめされ、無力を見せ続けられたろう。名誉、地位、富、人の賞賛、栄光、プライド、輝かしき将来、すべてを剥奪された。

 

しかしこれこそがモーセの真の財産となった。荒野の試練の中で、自信満々のモーセは砕きに砕かれ、へりくだった柔和な者へと、造り変えられて行った。神は高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みを授けられる。これは普遍の法則だ。水は決して高い方へ流れず、常に低い方へと流れる。モーセは荒野で砕かれ練られ整えられ、40年後に主により立てられる事になる。

 

今こそが間に合う器として、民をエジプトから導き出すという大きな使命のために用いられる事に。主はへりくだった者を用いられる。信仰の一番の妨げは高ぶりだ。今、もし荒野にいるなら、大きな祝福の手前だ。主は砕き練り整えられる。へりくだって、今、いる場で、主に従順に従おう。

 

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高ぶっているかどうかは、主の助言や人の助言を受け入れないところに出て来る。高ぶっているので、人の助言を受け付けない。結局失敗を繰り返し、滅びの道に至ってしまう。へりくだった人は砕かれていて、誰からでも教えを受ける事ができて、ますます繁栄して行ける。

 

   発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係