「心を尽くし、主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな」箴言3:5

ある人が仕事で開発プロジェクトを進めていた。だが、なかなかうまく運ばず、試行錯誤の中どうにもならず、暗礁に乗り上げてしまった。もう手立てが無いように思えた。しかしその事業は、主に祈り、導きを得て、始めた事であった。困惑し、どうしてよいかわからず、自分の無力に打ちのめされた。どうにもならず、主の御前に静まり、祈りに持って行った。

 

行き詰まり、頓挫している現状を、心の思いを何もかも打ち明け、心を吐き出し、祈った。御言葉を読んでいた時に「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び・・実を結び、実が残るため」の言葉が心に迫り、主が確かにこの仕事に自分を選び、任命して下さったのだと思えた。

 

しかし主の御心の仕事ではあったが、「自分が」「自分が」と自分が前に出て、自分の考えと自分の力に頼り、力尽きた姿が見せられた。「あなたがたではなく、わたしが」、「自分」ではなく「主」が、先導して下さっている、そこに平安と安堵が来て、今一度、主に現仕事と自分自身を明け渡した。

 

すると不思議な事に、あれほどの重い鉛を抱えていたような不安、思い煩い、恐れが失せて行った。とにかく、目の前の一つ一つを、主に委ねつつ、従ってゆけばよいのだと思えた。主が何とかして下さる。主を信じれた。気持ちがすっかり楽になり、力が湧いて来た。自分が運転席に座り、主が助手席だったのが、主が運転席、自分が助手席に交代した。

 

すると、目の前の一つ一つが導かれて行く事を見せられ、困難はあるが、心が全く違って平安だった。そして主により成し遂げられた。何よりこの事を通して、主への信頼が新たにされ、深められた事が感謝だった。

 

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信仰人生で、ある時、どうにもならない行き詰まり、瀬戸際を経験する。目の前は紅海だ。しかしその中で、全くなすすべ無く、ただだ主にすがった時に、道が開かれ救われる事を、幾つも経験して来た。自力でなく、主に拠り頼むことを祈ろう。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係