「神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者 ではなく、とくにこの取税人のようではないことを、感謝します」 ルカ18:11

 

 ある人が、対人関係において、自分は人を見る時に、常にフェアである姿勢を取ろうとして来たし、そうしていると思っていた。自分は決して人を偏見で見ていないつもりだし、そう見る人は間違っていると思っていた。しかし、ある時、御霊に心を照らし出された。

 

デボーションで、聖書の中のパリサイ人と取税人の祈りの箇所を読んでいた時だった。パリサイ人が祈りで「神よ。私はほかの人々のように~~でないことを、感謝します」と言った箇所が目に留まり、心に刺さった。心の奥の自分が重なった。このパリサイ人は何と愚かなのか、自分はこのパリサイ人のようではない、自分は違う、そんな事はしないと、優越感を抱いて見ている事に気づかされた。

 

又、更に表にこそ出さないが、実は心の底では様々な差別をしている醜い自分に気づかされた。まさにパリサイ人の姿そのままだった。神に反抗しているならわかりやすいが、表面的には、御言葉に従い正しくあろうとし、神の心にかなおうと、従おうとしているので、かえって気づかない。

 

御言葉と御霊の光が臨む時、私たちも、心の奥底が見せられ、全く気づかなかった、知らなかった自分の本当の姿を知る。愕然とするが、主はそんなものは何もかもすでにご存じの上で、愛して下さっている。神は知っておられるが、自分が自分の本当の姿を知らない。様々の取り扱いを通して。本来の姿を見せられ、悔い改めつつ、どこまでも成長して行ける。

 

・・・・・・・・・・・・

どこまでも醜い肉があるが、御霊により気づかされる事が感謝で、光の中だ。光の中なので、見えて、祈りに持って行ける。そして主はそんな自分をありのまま愛して下さっている。愛されているから悔い改める事が出来る。主の赦しの平安、安心の中を歩んで行ける。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係