「私は主を待ち望みます。私のたましいは、待ち望みます。私は主のみことばを待ちます」詩篇130:5

 

信仰生活で、難しい事の一つが「待つ」ことだと言われる。すぐに結果が欲しい。願ったものをすぐに手に入れたい。ファーストフードを食し、自販機からは、即、飲物が出て来る。コンビニは24時営業で、すぐに入り用の物が手に入る。各自が携帯を持ち、個人同士で連絡も取れる。世界中リアルタイムでメールが行き交う。

 

便利な時代になり、即、欲しい物が持てるので、「待つ」事は非常に難しい。信仰生活でも、すぐに行動したいし、すぐに目に見える結果が欲しい。しかし主は、主の御前に座し、静まり、じっくり祈り、御声を聞いて、導きを確信して歩めと言われる。忍耐が問われる時だ。御言葉を求め、導きを求め、確信を得るには、じっと御声に耳を傾ける時が必要で、祈りが必要だ。

 

そうでなければ、自分の思いと力で、自分の判断で行動してしまい、必ず失敗してしまう。つまずいてしまう。誰しも肉の欲があり、肉の思いは、自分の都合の良いようにやりたい。しかしそれなら肉に従い、サタンに従う事になってしまう。神の栄光どころか、逆にサタンに用いられてしまう。あなたにも今、待ち望む事が必要であり、求められているだろうか。

 

悪魔は焦らし、急かし、神はじっくり導かれる。焦りは悪魔の誘惑だ。肉の思いに走らないために、悪魔に欺かれないために、じっくり主を待ち、御声に耳を傾けよう。必ず御声をかけ、確信を与え、御心の道へと導かれる。それは平安な確かな道だ。

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便利で合理的、何でも遅いより早い方が良いとの価値観にどんどん押されてしまう。祈ることも聖書を開くことも御霊の導きを確信することにも時がいる。主を待ち望むという焦りのない歩みをしたい。

 

  発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係