「私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられます ように。わが岩、わが贖い主、主よ」詩篇19:14

 

 主は、人前で善行をするな、右手のしている事を左手に知られるな、と言われた。施しが隠れているように、自分の善行を人に知らせてはならないと。しかし、同時にあなたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたの良い行いを見て、天におられる父を崇めるようにせよ、とも言われた。人前で良い行いを輝かせよと。

 

一方は知らせるな、一方は知らせろと、これは正反対ではないのか。どう違うのか。ここで言われているのは、動機の問題で、動機がどうかという事だ。自分が認められ、ほめられ、自分の栄光のためにしているのか、それとも主のために、主を喜ばせようとしているのかだ。主ではなく、自分を喜ばせるためにする善は偽善だ。パリサイ人の善行がそうだった。

 

人の前で自分を正しいとする事であり、人の間で崇められる者は、神の前で憎まれ、嫌われると主が言われた。人前でなく、神の御前で生きる事、人の目でなく、神の目を意識して生きる事が言われている。誰しも皆、人を意識して生きている。目に見えない神よりも、目に見える人からの評価や賞賛が欲しい。人前で体裁を繕い、良く思われたい。

 

目に見える世界が大事であり、すべてとなり、主を無視してしまう。サタンの誘惑だ。目に見えない主の御前で生きて行く事は、まさに信仰によるのであり、これも自分では出来ず、御霊の助けと導きによることだ。祈って行こう。主に自分を明け渡して行く時に、助けられて、「御前に」受け入れられる事を求めて行ける。

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クリスチャン生活、悪い事はためらっても良い事は動機を探らずやってしまう。動機はと問いかけてみるならどうだろう。心を見ておられる神の御前を生きよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係