「彼らはそれを聞くと、年長者から始めて、ひとりひとり出て行き、 イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた」ヨハネ8:9

 

 律法学者とパリサイ人が、姦淫の現場で捕らえられた女を、主のもとに連れて来た。姦淫が許せないという事ではなく、主を陥れるためだった。「モーセは律法の中で・・石打ちにするように命じている。ところで、あなたは何と言われるか」と。石打ちにとなると、あなたが説いている愛はどうなるのか、石打ちにしないとなると、律法を守らないとの事で、告発しようとした。

 

つまりは罠にかけるためであった。しかし主はじっとかがみ、指で地面に書いておられた。なおも迫り、問い続ける者たちに、第三の答えをされた。「あなたがたの内で罪の無い者が、最初に彼女に石を投げよ」と。すると一人去り二人去り、結果、皆が去り誰もいなくなった。彼女も、皆に紛れ込み逃げる事ができた。しかし彼女は逃げなかった。自分の意志でそのままそこにいた。

 

現行犯で捕らえられたが、姦淫は死刑であり、石打ちにされて当然であった。死を前に、罪を意識していたであろう彼女に、主の言葉が驚きと共に、心にしみ込んだであろう。想定外の展開に、かつて見た事のないこのお方に 自分の身を委ねた。群衆は心を刺され罪がわかったのだが、主から逃げた。

 

主は彼女に「あなたを罪に定める者はなかったのですか」と問われ「主よ。だれもいません」と答えると「わたしもあなたを罪に定めない」と。彼女は主の赦しを受け取った。罪の苦しみから逃れる事が解決なのではない。真の解決は罪が赦されることだ。逃げるのでなく、主に向き合おう。「あなたを罪に定めない」と完全な赦しを与えて下さる。

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罪を犯すと早く何とかしたいと隠したい肉の思いが来るがくるが、主に受け入れられている。罪を認めて主に赦され、そこから時間をかけて学んでいこう。逃げずに主にとどまろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係