「家を建てて住みつき、畑を作って、その実を食べよ。妻をめとっ て、息子、娘を生み・・そこでふえよ。減ってはならない」 エレミヤ29:6

 

エレミヤの時、イスラエルはアッシリヤに滅ぼされ捕虜として連行された。しかしそのアッシリヤは、バビロンによって倒された。バビロンはどんどん侵攻し、国々は討ち取られ、滅ぼされ、とうとうユダの人々も、バビロンに捕囚の身となった。当時のユダは神から離れていた。民は偶像礼拝に陥り、堕落していた。

 

預言者たちは人受けのする、耳ざわりの良い、心地良い言葉だけを語り、平安が無いのに「平安、平安」と言っていた。しかし神の人であるエレミヤはどこまでも主に従い、混ぜ物をせず、真っ直ぐに語った。そのため迫害受け、苦しめられた。敵であるバビロンに捕らわれの身となる、真っ暗な中で、エレミヤは神の言葉を語った。 

 

今の状況は、「災い」としか見えないが、「平安・将来・希望」のためのものだと。必ず平安へと導かれると。すぐに解放にはならないので、その地で住みつき、腰を据えて生活せよと、そしてその町の繁栄を祈れと。それは自分たちの繁栄になるからと。私たちも苦しみの時は、一番欲しい言葉は「即、問題解決」「即、悩みからの解放」だ。しかし口先だけの励ましは更に傷が深くなる。

 

全く思い通りではない現実を受け入れる時、その中で神からの支え、励まし力づけにより生きて行ける。現実をしっかり受け入れる事が大切だ。いつまでもそのままではなく、「70年の満ちる頃・・あなたがたを帰らせる」。現状の中で主に従って行こう。そこには「平安」が約束されている。そして神の時に、解放して下さる。

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思い通りではない現実を思い通りにしたいと祈り求めてしまう。都合の良い言葉には一時の安らぎがあるが、ご計画を成就させられるのは神だ。「平安と将来を与える計画」がどこに処にあるかを求めよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係