「この女は、イエスのうしろに近寄って、イエスの着物のふさにさわった。すると、たちどころに出血が止まった」ルカ8:44

 

 この女性は12年もの長い間、出血が止まらない状態で、どんなに苦しんだ事だろう。律法によると不浄であり、礼拝にも出られず、宗教的にも社会的にも疎外されて来た。経済的にも治療に全財産を使い果たし、良くなるどころか、かえって返って悪くなり、この先どうすればよいのか、全く光が見えず、心身限界で、ぼろぼろであったろう。

 

わらにもすがりたい思いでいたに違いない。丁度そんな時、様々主の噂を耳にし、せめて主の着物にでも触れたなら必ず直ると信じた。必死な思いであった。触ったその瞬間、血の源が枯れて、ひどい痛みが直った。奇跡が起きた。誰にも知られず隠れていたかった。そっとその場を去りたかった。が、主がそこで「触ったのは誰か」と問われた。

 

群衆に紛れて潜んでいたが、隠しきれないと思い、恐れて震えて進み出た。「イエスの前に」出た。どんなに勇気の要った事だろう。「すべての民の前で」主に触れた理由と、癒された次第を話した。すべての民の前で告白した。自分を卑しめ、暗さの中に隠れていたのが、光の中へと入れられた。

 

主は「あなたの信仰が」と女性の信仰を認め「安心して行きなさい」と、もう恐れも不安も怯える事もない、全き安堵と平安と自由を下さった。身体だけでなく、心も癒やし、救いを与えて下さった。主が告白に導かれたのは、実は彼女自身のためであった。晴れやかな喜びと全き平安に包まれた。

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隠したい悩み、苦しみも主の元に行けば光の中に招き入れられる。主に触れ主に叫ぼう。身体よりも心をすこやかにされる。主の元にいき、主にすがろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係