「主よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのでなく、 歩くことも、その道を確かにすることも、人によるのではないことを」エレミヤ10:23

 

 ある人の証しだ。主との交わりが大切で、その手段として祈りがあり、自分の願いや悔い改めを主に告げて行ける。主は御言葉を通して語って下さり、お心を現して下さる。デボーションが大切で、信仰生活の生命線だとわかる。主との交わりが大切だと、よくわかっているつもりなのに、なかなか祈りの時間を持てないし聖書も読めない。

 

ズルズルと1週間が過ぎる。礼拝に行って、流されていたと気づき、主と交わりの生活をしたいと思う。だがついテレビで時間がつぶれ、雑誌は幾らでも読めるのに、聖書が読めない。好きな事なら時間を忘れて夢中になる。なのにデボーションの時間は無い。こんな繰り返しに、自分でもいい加減嫌になり、主のもとへ行き、祈った。正直にことごとく打ち明け、助けを求めた。

 

祈っていた時に、主を真剣に、本気で求めていない事に気づかされた。しかし自分でどうにも出来ず、主を求める事が出来るようにと祈って行こうと思えた。だがこの気づきも、祈った祈りの答えである事に感謝した。祈る事も聖書を読む事も、自分の力では出来ない。助けを求めて祈る時に、主を経験して行く。

 

ある人は、なかなか祈れない自分に、助けを求めて祈った。その時、忙しいから、時間が無いからの理由でなく、祈らなくてもやって行けると思っている自分に気づかされた。それは高慢ではないか。御霊の気づきを与えられ感謝した。自分でどうこうしたり、又、自分で頑張るのでなく、まずありのままを主に告げよう。主が助けて下さる。

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困った時、迷った時には必死で主に導きを祈るが、そうでなければ何処までも自分で歩いて行きたいと気づかされる。人はその道を定めえず確かにする事は出来ない。何気ない一日でも主の守りの中だ。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係