「ばらまいても、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんでも、 かえって乏しくなる者がある」箴言11:24

 

 「少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取る」とある。死海は、ガリラヤ湖から入る水が溜まるのみで、出て行く先がない。死海から流れ出る川が無い。一方的に受けて、溜めるのみだ。流れ込む水は大量蒸発する。それで、死海の塩分は濃くなり、この塩分濃度のため、魚が生息できない。

 

周囲も砂漠で緑がない。逆にガリラヤ湖は、フレー湖から流れて来る水を受け、溢れた水をヨルダン川に流し、死海へと行く。受けた水を送り出し、常に水が流れているので、ガリラヤ湖の水は生きている。そのため色々な魚類が生息している。周囲も緑が豊かだ。受けているだけなら、腐って、死を招く。与えられたものを、次に流すと、又、与えられて、いつも新鮮で、生き生きと喜びが溢れ流れる。

 

与えられた恵みを証しすると、自分自身も喜び満ち、又、恵みが増し加えられる。私たちは与えられているものについてどうだろう。時間、富、労力、賜物・・自分だけのものにして、握りしめていると、腐って来る。それを神に、人に献げて行くと、必ず与えられ、更に増し加えられ、喜びの流れが止まる事がない。

 

人生何のために生きているのだろう。蓄えるためか。それとも神の素晴らしさを知るためだろうか。人には欲があり、どうしても溜め込もうとしてしまう。するとますます出す事を惜しむ。御心に従って流す時に、大きな喜びの流れを味わう。流して行こう。

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主から日々、溢れるばかりに与えられている。必要以上に心配せず受けるよりも与えほうが幸いであるとの主の御言葉を行っていこう。与える喜びを経験しよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係