「いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるため に・・」ルカ18:1

 

この人は裁判官であるが、神を恐れず人を人とも思わない人物だ。まず神を恐れないから、人を人と思わない。ひっきりなしに裁判を訴えてやって来るやもめに対して、同情や配慮、思いやりのかけらも無い。せっぱ詰まった苦しい事情があるであろうに、何とも思わず、何も感じない。

 

しかし、やもめが余りにもひんぱんにやって来るので、いい加減迷惑で、仕事にも差し支えて来るので、うるさいから裁判をする事にした。裁判が実現したのだが、それはあわれみの心や愛情からではなく、余りにもうるさいからとの理由であった。

 

こんな人物でも、執拗に願い続ければ、裁判になったのであれば、ましてや私たちを独り子を与えて下さるほどに愛して下さっている神が、私たちの訴えを、願いを正しい裁きをつけずに放置されるわけがない。そういう事を言っている。「ましてや神は」が鍵だ。とんでもない人物と神を対比させている。

 

この人物は自分の都合のためだったが、神は私たちを愛して、私たちの最善を考え、正しい裁きをして下さると。だから失望せずに祈り続けよと。祈りの執拗さより、祈る相手がどんなお方かが重要だ。神はすみやかに正しいさばきをして下さる。だから、答えが遅れていても、必ず「神の時」に答えが来るので、失望せずに祈り続けよと語られている。

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すぐに答えが貰えないと自分の祈りなど聞かれてないのではとすぐに諦めたり迷いはじめる。祈りの答えを待ちながら祈り続けよう。神に祈りは届いてる。訴えは聞かれている。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係