「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練され た人々に平安な義の実を結ばせます」ヘブル12:11

 

 人は苦しみに会う時に、二つの反応に分かれる。苦難により、より良くなるか、より悪くなるかのどちらかだ。一方は患難により砕かれ練られ、信仰が培われ、品性が磨かれ成長して行く。他方は、苦しみにより反抗し、心を屈折させ、苦々しい思いを持ち、頑なになり神から離れて行く。どちらも自らの選択だ。

 

ヨセフは兄たちに隊商に売られ、奴隷としてエジプトへ。突如の厳しい試練に直面した。だが自分を見失わずに、主を見上げた。どうなろうと主を信じていた。その場所で、主に信頼し忠実に仕えた。主は働かれ、奴隷として仕えた主人の信頼を得させて下さった。その後、今度は無実の罪で投獄の身に。

 

しかしそこでも変わらず主を見上げ、その所で仕え、模範囚に。ヨセフはそのつど腐る事も、不信感も、疑いも、苦々しい思いを持つ事も出来たが、御霊の導きの方を常に選択した。モーセも王子の立場で、同胞を救おうとしたが失敗し、荒野に逃げた。そこは何も無く、かつの栄華も地位も、名誉も富も人々の賞賛も、何一つ無い、一見落ちぶれた場所だ。

 

そこで毎日毎日羊を飼い、40年の歳月を過ごした。しかしモーセは腐らず、その所で忠実に仕えた。実は主はそこでモーセを砕き、訓練し、造り変え、指導者としての器を準備しておられた。突如の苦しみが臨んだ時も、主を見上げていよう。主にはご計画がある。

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試練は神からのものと正面から受け止めたい。共にいてくださる神の平安をいつも覚える。試練はつらいが必ず豊かな実を結ぶ。あの試練があったから今の私があると言える日を信じよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係