「ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます」ヤコブ1:21

 

 まず、「すべての汚れやあふれる悪を捨て去り」とある。心が汚れや悪、罪、ネガティブなもので占領されていると、御言葉が素直に入らないからだ。思い煩いがあると、心が不安や心配事でいっぱいで、御言葉が入る余地が無い。又、怒りがあると、御言葉が聞けない、自分の思いばかりが強くて、御言葉を排除してしまう。

 

主に対する不信感、人に対する妬みや憎しみ、さばき・・それらを捨てるようにと言っている。自分でわかっている罪は、主の御前に告白し、悔い改めよう。様々な言い訳や弁解をやめ、自己正当化する事をやめ、罪を認め、言い表そう。それが「捨て去る」ということだ。主は真実で正しい方なので、罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめて下さる。

 

自分で捨てる事ができない、どうしようも出来ないものは、まずありのまま主のもとへ持って行こう。思い煩い、怒り、妬み、憎しみ・・それらを正直にそのまま祈りに持って行ける。主に明け渡して行く時に、主が捨てさせて下さる。そう出来るよう助けて下さる。心が耕されると、御言葉が入って来る。

 

主が心に植え付けて下さるので、私たちはそれを拒まずに受け入れる時に、御言葉により生かされる。信仰生活において、一つ一つの場面で、御言葉が命であることを、御言葉により救われることを経験して行く。

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御言葉に照らされると心のどこかに痛みがくる。そのままにするか改めていくかいつも選択だ。自分では出来ないが主の助けを求めることは誰にでも出来る。改めるべきは悔い改め、心を健やかに歩もう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係