「しかし、私は主にあって喜び勇み、私の救いの神にあって喜ぼう」 ハバクク3:18

 

 ラッキーな時、ハッピーな時は、誰でも嬉しい。受験合格、昇進、大豊作、祝い事・・信仰があっても無くても、誰でも喜べる。だがハバククが喜んだのは、饑饉で、いちじくの木は花を咲かせず、ぶどうの木も、オリーブの木も実が無く、畑は全く何の収穫も無い。羊も牛も絶えてしまった。周囲は真っ暗で完全な絶望状態であった。

 

失望落胆、悲しみ、嘆き、無気力になりそうな状況のまっただ中で、なぜ喜べたのか。「主にあって喜び勇み」「救いの神にあって喜ぼう」とあるように、環境、状況等、外側の出来事によって喜んだのでなく、「主にあって」喜んだのだ。ハバククの信仰だ。私たちも、現状が何の希望も持てない、絶望の暗黒状態であり、今後も真っ暗であったとしても、喜ぶことができる。

 

状況にあってでなく、主にあって喜べる。主に焦点を持って行こう。主はどのようなお方かよく考えよう。必ず万事益とされるとの約束がある。ご計画を持っておられ、災いは無く、平安と将来と希望のためのものだ。最悪の事態が必ず平安の落とし所へと導かれて行く。そして最悪に見えても、主はすでにしようとしている事をご存じだ。

 

ご自分のひとり子をさえ惜しまずに与えて下さったお方が、良くして下さらないわけがない。状況を信じるのでなく、主を信じよう。「心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい」。「恐れないで、ただ信じていなさい」。とんでもない状況が目の前にあるが、目を転じて「御言葉」を見続けよう。それが信仰だ、御言葉により、恐れが平安に変えられて行く。

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真っ暗な状況の中でも主を待ち望み、主にあって喜ぶことができる。なんと感謝なことだろう。今は見えず、遅れているように思えても、主はご計画を遂行されている。主の最善の時を信じて待とう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係