「御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません」ガラテヤ5:16

 

 主はアブラハムに、アブラハムから生まれる跡継ぎを与えると約束された。そして子孫は天の星のようになると。しかし見えるところ一向にその気配は無く、サラは自分が子供を産めないので、奴隷ハガルによって、子をもうける事をアブラハムに提案した。当時の風習であり、サラからの申し出であったので、そのようにした。これは人間的な思い、アイデアであった。

 

しかし祈りによらず、御霊によらない、肉の思いであった。肉の行為は、必ずトラブルを生み、秩序が乱れ、混乱を生み出す。自分にとどまらず周囲にも害が及ぶ。子供をみごもったハガルは高慢になり、女主人であるサラを見下した。するとサラはハガルをいじめ、ハガルはつらさの余り、逃亡する事になる。そこで主が介入された。

 

ハガルは奴隷であり、自分で選択不可能な立場にあった。その事には責任は無い。しかし自分の態度には責任がある。肉による行いは、必ず問題、悩みが生じる。まず祈らなければ、人間的な思い、意見はしばしば罠になる。人間的に最善と思える方法が、必ずしも主の方法ではない。肉の判断、肉の行動への警告だ。

 

信仰生活において、まず祈り、主の判断、主の方法を求めよう。サタンはとにかく急かせて、焦らせる。私たちは早く結果が欲しいので、何とかしなければとの思いばかりが高じる。サタンはそのところに働き、肉の行いを誘発する。主は必ず導かれる。肉で動かず、御霊の導きをじっと待ち望もう。主が成し遂げられる。

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肉の強い思いがあると主の御心か自分の思いかわからない。見たいように見て、聞きたいことを求めてしまう。心が空になるよう祈ろう。全く明け渡し、主の判断を仰ごう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係