「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださ います」Ⅰヨハネ1:9

 

 ある人の証しだ。ずっと人に頼るまいと、自分の力で生きようと頑張って来た。人に弱みを見せまいと肩ひじ張って、突っ張って来た。重い、しんどい歩みだった。失敗した時は、環境のせい、人のせいにして、言い訳し、自分の非も弱さも認めず、自分を正当化して来た。そうでないと、自分が崩れてしまいそうだった。

 

自分しか信じられるものが無く、他人など到底信じられなかった。そんな自分だったが、対人関係で悩み苦しんだ時に、誘われるまま教会に行った。しかし自我は強く、自分が罪人だなど認められない。又、神に頼るなどと、弱い者のする事だとの思いで受け入れられない。自分の力で生きなくてどうする。反発心も湧いた。

 

そんな中も、教会の皆は親切で、状況が苦しくもあり通い続けていた。事態は更に厳しくなり、どうにもならず行き詰まってしまった。その時に「神が本当におられるなら、わかりたいです」との心の叫びとなった。だが、その日から何かが変わった。罪人でないと思っていたが、表向きは良い顔をし、心では人を見下し、さばき、憎み、妬んでいる自分。

 

又、人のためにと言いつつ、実は良い人だと見られたい、動機は虚栄心。そんな自分の「罪」を示された。罪を認め、導かれるまま悔い改めた時に、心に安堵が来て、今まで経験した事の無い平安を味わった。孤独で寂しく突っ張った心に、喜びがこみ上げた。

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ひとつひとつ示された罪を認め、赦しを受け取ると自分で自分を守らなくても良いと思えてくる。なんと感謝な平安だろう。愛する御神が過去の全ての罪を赦し、日々に守り導いてくださる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係